宮崎さんの大船渡レポート [【岩手県】被災地のカレー屋さん]

このプロジェクトの活動の大部分をご支援いただいている宮崎厚志さんの岩手県は大船渡に入っていただいた時のレポートです。気仙沼から岩手と仕事の合間をぬっての活動にはいつも頭の下がる思いです

宮崎さんには再びこの場を借りましてお礼と感謝申し上げます。

そして今回の大船渡の現状や今の皆さんの気持ちなどなどが克明にレポートされています。僕らも現地に入って感じましたがあの状況から再びお店を開けるという気持ちの強さは並大抵のものではありません。またとにかく前向きに考えていらっしゃる姿に心を打たれました。
とにかくこれが大船渡の現状です。お読みいただければ幸いです。

【大船渡市盛町 カレーハウスKojika 再開支援活動レポート  文責・宮崎厚志】

7月1日、気仙沼での活動を終え、大船渡へと向かった。
道中、陸前高田で道に迷う。
気仙川の三角州にある陸前高田は、津波が街の両側から押し寄せ、洗濯機のように渦を巻いたという。
これまで見てきた志津川や気仙沼港など被害の集中した場所はまだ街の跡形が残っていたが、ここはまさに壊滅という状況だ。
窓がすべて割れた5階建ての集合住宅が荒野にそびえ立っている。野球場が地盤沈下したのだろうか、照明だけが海から生えている。
あらためて、唖然とする。
国道45号線の気仙大橋が開通していなかったため、川を上流へ向かい、さらに迂回路に回される。
カーナビに頼って運転していてはダメだ。
初日に買った「復興支援地図」を見ながら、登米からじっくり約3時間もかけて大船渡にたどり着いた。


Kojikaの店主・鈴木さんには、前夜、電話にておおまかなお話を伺っていた。

奥様が経営していた港に近い「cafe de curry Kojika」は完全に津波に破壊された。(下記リンク参照)
http://kojimamana.exblog.jp/
一方、盛町の本店は1階の大部分が浸水(認定は大規模半壊)。
3階建ての家屋は残ったものの、1日に120キロのタマネギを炒め、1回に500人分のカレーを仕込んでいた特注の大釜が流されてしまった。
奈良の業者に同じ釜を作ってもらうには300万円の資金が必要で、しかたなく既製品の寸胴鍋で代用しているが、やはり仕事はしにくいという。

「25年間カレー屋をやっているが、タマネギの炒め具合で味は全然変わってしまう。前と同じ味ができるのか、自信がない。お客さんに、『前の味と違う』と言われるのが一番怖い」

40年以上も料理の世界で生きてきた人の自信をも、津波は打ち砕いていた。
それでも、鈴木さんはこの本店から再起を図っていた。
震災から4ヶ月の節目となる7月11日に、Kojikaは目標を定めていた。
現在は、砂にまみれた厨房の掃除中で、ひたすら食器を洗っているという。
これは、自分でもできるはず。すぐに手伝いに行きたい。
そう伝えると、「食事と寝るところは用意します」と快い返事をいただけた。

 

誰もが人生を一変させた3月11日、Kojikaの鈴木家も同様だった。
結婚直後で、本店の隣に買ったばかりだった長男・守さんの家も全壊した。
それでも家族全員の生存を確認した鈴木家は、避難所で暮らしながら支援活動を始める。

生き残った大船渡市内の飲食店経営者らと協力し、20日間もの間、1日1000食、合計2万食の炊き出しを行った。
鈴木さんは倉庫にストックしていた1.5トンのタマネギペーストを始め、残っていたすべての食材を提供した。
それが尽きたとき、次にやるべきことはわかっていた。

「カレーは自分の商売、やらないわけにはいかない。とにかくチャレンジしよう」。

家族一丸となっての再開への道。
まずは津波とともに窓から侵入してきた瓦礫をひとつずつ撤去した。
床を張り替え、木製のテーブルとイスは丹念に拭いた。
買い換えが必要となった厨房設備や食器は、県内のリサイクル店を回って安く仕入れた。
かかった費用は工事費など含め500万円以上。
それでも鈴木さんはあらゆる支援金制度を調べ、最も有効な組み合わせを吟味し、利用した。

「制度を上手に組み合わせれば、1000万円くらい用意できる可能性がある」。

いつしか、被災した飲食店の店主らが次々に鈴木さんを訪ね、営業再開への相談を持ちかけるようになった。
イタリアンレストランで修行していた守さんはこれを辞め、実家を手伝いながら、中古車販売を始めた。
近所のお年寄りには、1日1回支援物資を配って歩いた。
親友の近藤さんは海岸にあった自分のレストランを失ったが、ときにKojikaに寝泊まりしながら、陸前高田でボランティアのための食事を作り始めた。
Kojikaの存在は、確実にこの地域のひとつの復興の核となっていった。

RIMG1578.JPG 
隣の家の壁の色が変わっているラインが浸水した高さ


12時半ごろ、予定より送れてKojika本店に到着すると、鈴木さんは笑顔で迎えてくれた。
ちょうど相談に来ていた被災飲食店の方が帰るところだった。
RQ登米本部の担当者にお願いし、支援物資として提供を受けた段ボール3箱分の野菜を渡すと喜んでもらえた。
一緒にお昼を食べましょうと、2階ご自宅の台所で、通販していたレトルトパックのカレー(辛口)をいただく。
このレトルトストックもほとんどを地域に提供し、震災前の味は残り少ないそうだ。
よく炒めたタマネギのコクがおいしい欧風カレーだった。
ただ、鈴木さんは「支援物資が余っていてね」とカップラーメンをおかずにご飯を食べていた。


RIMG1573.JPG



その後、ノートパソコンでブログを見てもらいながらプロジェクトを説明。
出かけていた奥さんも帰宅し、2人にKojikaのこれまでと今後を話していただく。
ちなみに被災地では、電話線がようやくつながり始めた段階。
被災者自身によるインターネットでの情報収集は困難な状況だ。
午後2時過ぎ、厨房の清掃作業に取りかかる。
業務用冷蔵庫や食材庫の内部にまで津波が入り込み、洗っても洗ってもどこからか砂が出てくる。
新たな機材を運び込むためのスペース作りや、排水管の設置など、やることは山ほどあった。
ふと見ると、棚の上にカゴに入ったたくさんのスプーンを見つけた。
津波に飲まれたのだろう、汚れがひどい。が、大事に保管してあった。
奥さんに聞くと、「cafe de curry Kojika」から拾い集めたものだという。
2号店では、内装から食器まで、奥さんがこだわって選んだものを使っていたそうだ。
忙しそうに出入りしている鈴木さんを煩わせないよう1人で黙々とできる仕事を探していたので、このスプーン55本を再生させることにした。
それに、スプーンはお客さんの口に入るカレーにとって最も重要な食器だ。

まずは普通に食器洗い洗剤で汚れを落としたが、塩水に浸かったため青錆がひどい。(写真手前)
そこでクレンザーを目の細かい食器洗いスポンジにつけて擦る。(写真中)
さらに金属研磨剤の「ピカール」を柔らかい布につけて磨いていくと、ようやく輝きが戻った。(写真奥)


 

RIMG1575.JPG


夢中で磨いているうちに、あっという間に夜8時になり、この日は終了。
地道でも無心になれる作業はやはりいい。
風呂に入らせてもらい、洗濯機を借りに来た近藤さんも交えて4人でビールとごちそうをいただいた。
鰹のハランボ焼きや筋子、茎わかめなど、三陸の海の幸がテーブル狭しと並べられた。
本当においしい。
ただ、鈴木さんの昼食がカップラーメンだったことを思い出し、少し複雑でもあった。


近藤さんのレストラン「サンジャック」は、大船渡湾の入り口にあり、海を見ながら食事を楽しめた店だった。
近藤さんは競馬が大好きで商売っ気のない人柄だが、鈴木さんいわく「料理だけはかなわない、天才」と脱帽する腕前。
地元の飲食業界では知らない人のいない隠れた名店だったという。
今は盛岡の近くの滝沢村にある公営住宅に移ったが、知人の経営者に頼まれて陸前高田の自動車学校でのボランティアのための食事作りを始めた。
(参照:http://www.ait-ultrasonic.jp/GNE%20net.htm

 

kojika 皆さん.jpg
右から鈴木さんご夫婦・近藤さん・鈴木さんの息子さん

「それまでの3ヶ月間、オレはずっと下を向いて暮らしてた。生きてるのか死んでるのかもわからないような状態。津波が来たときは高台に逃げて、見下ろすと目の前で店が流されていた。映画を見てるようでまるで泣けなかったよ。それが、ボランティアの人たちが遠くからやってきて見ず知らずの他人のためにあんなにきつい作業をやっているのを見て、3ヶ月経って初めて泣いた。自分にもできることが見つかって、やっと前を向けるようになった」

盛岡から陸前高田までは車で片道2時間以上かかるため、自動車学校で寝泊まりする近藤さんはKojikaで風呂や洗濯、仮眠場所を借りている。
「いつかまた店を始めるときは、Kojikaの隣でやるよ」「それじゃ営業妨害だ」
鈴木さんとの掛け合いは、互いを認めながらも楽しそうにけなし合う、親友同士だけにできるやりとりだ。


7月2日、また6時に目が覚めた。
今日は昼に大船渡のもう一軒、「イーストエイジア」を訪問し、大阪に帰る予定だ。
早速スプーン磨きを再開。朝食を挟んで、11時ごろようやく55本のスプーンが営業に堪えうるレベルまで再生した。
かかった時間は約6時間。
営業再開への長い道のりを、肌で感じることができた。


この日、Kojikaには注文していた厨房設備が届き、電気工事も行われた。
夜は長男の守さんがダイニングバーとして営業していくという。
奇跡的に無傷だった「cafe de curry Kojika」の看板は、誇らしげに入り口に取り付けられた。
再オープンまであと10日、誰もが忙しそうにしていた。
立ち止まっている人も、下を向いている人も、いなかった。

RIMG1577.JPG

 

職を失った被災者の雇用を創出することは、個人ボランティアにはハードルの高い課題だ。
ただ、被災した飲食店の営業再開を支援することは、彼らに生き甲斐を取り戻してもらうことにつながる。
地域に根ざしていた飲食店が再開すれば、そこに集うお客さんたちのコミュニティーが復活する。
自分は一カレー好きとしてカレー店を支援しているが、この仕組みが軌道に乗れば、あらゆるジャンルに応用が可能だ。
ラーメン好きがラーメン店を、珈琲好きが喫茶店を。なんでもいい。
カレーの力を信じてるプロジェクトの可能性を、しっかりと確信した5日間となった。   (了)


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鈴木牧子

こんにちは。
愛知県豊田市でKojika Caféというカフェを経営している
鈴木と申します。
以前より、ネットの検索ページの結果で同じページに表示されるので
Cafe de Curry Kojikaという名前のカレー屋さんが
岩手県にあって、店主は鈴木さんという方だと
親近感を持って拝見しておりました。
そこへきて3月11日の大津波。
Kojikaさんの住所で見慣れていた大船渡市の名前が
ニュースで何度も呼ばれるのを聞き、
地図でKojikaさんの場所を確認すると
海の目の前。。。
それからは安否情報確認ダイヤルやサイトなどで調べて
鈴木さんがどうされたか、ずっと気になっていましたが
うまく探すことができず今日に至りました。
鈴木さんご家族が無事で、またお店を再開なさったとのこと
大変嬉しいです。
kojikamamaさんのブログも拝見したのですが
コメントやメッセージの送り方がわからなかったので
こちらにコメントさせて頂きました。
鈴木さんとぜひコンタクトをとらせて頂きたいと思っているので
もしこのコメントをご覧になったら
bonjour@kojikacafe.com までご連絡いただけませんでしょうか?
よろしくお願いいたします。

Kojika Café 鈴木牧子
by 鈴木牧子 (2012-03-18 23:22) 

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